我慢について。
40オーバーになってから、もともと我慢弱かったのが、どんどん輪を掛けて我慢がきかなくなって来たのを感じています。
それまでは若い頃のほうが勢いがある反面、我慢が効かなくて、大人になるにつれて思慮深くなって行くと思っていたけど、
わたし個人で言えば、昔のほうがずっと些細なことで慎重だったし我慢してたなあと振り返ってみて思います。
今は些細なことはどうでもよく思える大雑把さ(よく言えば鷹揚さ)と共に、
些細なことでも我慢できない!という両方があって、その幅が年々増えてきてる感じ。
でも昔の我慢と
今の我慢は質が違って、
昔は(させられてる我慢)だったと思います。
今はしなくてもいいことは我慢できない!って感じ。
昔のほうがある意味で素直だったなあと。
でも疲れたし、卑屈でした。
ある時から、もう我慢はやめよう!と決めて、もともと自由にやってた風に見えてた自分を解放してみると、まだまだ我慢していた自分に気づいたのでした。
どんだけ〜⁉︎我慢できないんだ!と自分でもつっこむくらいに。
その時もう一つ気づいたのは、
我慢してるのは、自分の勝手で、
ほんとうは誰か(何からも)強制されてることじゃないんだということ。
我慢した後に残るものは、
もっと我慢しなきゃならないことで、
その方向、風向きのようなものを変えるには、我慢をやらされてるんじゃあない、
全て自分で決めて、そうしてきたんだ!と気づくことだと感じます。
我慢してまでそうしたくないことだらけで、
それをやめて行ったら、
したいことや、こういう感じがいいなということがくっきりしてきました。
若い頃の調子でずっと我慢し続けてると、
加齢とともに頑固にもなるし、
それが被害者意識に火をつけて、
いじわるババア(ジジイ)みたいになる元なんじゃないかと思うので、
我慢なんてほんとは全然美徳じゃないよねって思うのです。
ただ''させられている"って思ってるうちは、
ある意味、思考を停止させて、
同じことをぐるぐる考えていればいいので、心情的にはキツくても、一方では楽なのでやめられないという構造もあると思います。
されてるんじゃない
してるんだ!
全ては自作自演。
納得も腑に落ちもいらない。
どちらも、そうなったら、起こる感覚だから、
先に分かるわけがないと思うのです。
どんなことを学んだり、知っても、
自分の心や体を動かして実践しなければ、
それはただので知識。
一度納得しても、そこでゴールや正解がある訳じゃなく、
どんどん未来に向かってまたは過去に向かって繋がることが増えていく。
それを諦めずにやっていけるか?
で手にすることも違ってくると思うのです。
わたしはそんな風に考え、
頑固なババアじゃなくて
加齢ごとにどんどん自由になるように日々を過ごし過ごしています。
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