普通ってなんだろう
お盆やすみも終わり、
帰省されたり家族と過ごしたりの方も多いと思いますが、
お疲れさまでした!
わたしも帰省して二泊だけでしたが、両親と過ごして帰宅。
数々のネガティヴボレー(速攻でネガティヴな発言で打ち返す)な母親の発言にある意味(凄いなあ)と感心するくらいでした(笑)
母には母の「常識」があり、
それが正しいと思っているので、
悪気は無いんですよね。
きっとそういう人の方がマジョリティであるってことは、実家のように地方に行けば行くほど濃度が濃くなる気がします。都会も細分化されてるけど、そのコミュニティに属する中での常識はあるし。
もっとマクロ(ある意味ミクロ)
で見れば、
人の数だけ常識はあって、普通だと思っていることもみんな違うと言えるんじゃないかと。
SNS見てると
「私はこう思います!」
という濁流に溺れそうになります。
まあわたしもこうやって
それをやってる訳ですけど。
でもこっちのほうが正しくて
違うのはどうかしてる!
と強く発言することは、
それが正しいかどうかより、
それがどんなタネを蒔いて行くことになるのか?
ってことの方が気になります。
その発言を見て
わたしって変なのかなあ?と思っても、
それを言葉では返せない多くの人たちもいると思うから。
でも自分では普通だと思い込んできたこと以外にも、道があるのかもしれないって気づくこともあるだろうし、
「知る」ということは
何かが動き出すきっかけにはなると思います。
多くの人が、
もう「普通なんて無いんだ」
って気づいてるのに、
それを言わず、自分の常識だけで生きようとしている今って
何か大きな時代の変化の前だからこそって感じもします。
裸の王様みたいに、
誰か言っちゃえばきっと変わって行くだろうなあって思ってたら、
最近、ツイッター見てたら、若い芸能人の方がバラエティ番組でそれをさらっと(本当は胆力あると思うけど)
言っちゃってるようで、リスペクトします!
こうあるべき!という反論ではなく、
自分はこう考え、こう行動してますっていう伝え方なのも素晴らしいと思います。
今まで何も考えずに普通だと思ってきた、多くの世代の人たちの常識に少しずつヒビが入って、ビリビリ剥けて、
新陳代謝を繰り返して時代も変わってく。
平成も終わるし、少なくともわたしが見えてる範囲内ではいろいろ楽しみです。
わたし母のネガティヴボレーが
こんなふうに打ち返すのでも
かわすのでもなく、
透明に見えるようになるなんて、前は考えもしなかった。
もはや全く聞いても理解するヒントがない外国語のように聞こえます。
一回くらいは周波数合っちゃうけど、それもいとおかし、です。
母が子供時代から今に至るまで、
わたしが子供時代から今に至るまで、
20年近くは一緒に過ごして居たとしても、全く別の場でそれぞれにそれぞれの考えで生きてきたということ。
それは10年以上前に気づいたことだけど、
今はもっと深いレベルでそれが分かるから、母が言うこと対しても尊重しています。理解はできないし同調もできないけど。その言葉はどんな言葉でも、母自身のものだから。
どんな環境に、時代に操作されたものであっても。
わたしは自分のこと(普通)とは
とっくに思ってないけど、
どんどん変わってしまえ!って思ってます。自分の中の常識も。
そうは言っても、
なんらかのスタンダードは残るものだと思うけど。
だけど人に対して、
自分に対してのまなざしは
いつの時代も優しくありたいと思ってます。
それだけは変わりたくはないなと。
今回の帰省で母が父に台所で何かわたしのことを言ってるのが聴こえてきて、なんだと思ったら、
「◯子はらっきょう嫌いだから、怒るからテーブルから片付けておかないと!」父に言ってて、
昔はらっきょう嫌いだったけど、今はいつからか忘れたけど、好きなのでそれを伝えたら、びっくりしてて、
らっきょうが食卓にあったからって怒ってた(怒った記憶は無いですけど)過去のわがまま娘の自分に光を掛けておきました(笑)
変わってないという目で見てると
そんな風なこともあるんだなあって、
母の中では、らっきょう嫌いだった当時のわたしのままでわたしは存在してるんだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
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