ピークをそこへ向けないでください
例えば、わたしがあと数時間の命だとしたら?
家族や親しい人や、疎遠になっていた人へ、ただありがとうを言いたいって思うだろう。愛してるよ!ありがとう!って言える時間があればいいなって思う。
あと一年の命なら、怖いって思ってた飛行機にだって乗って外国へ飛び出して、言葉なんか話せなくても気にせず、見たことない景色に出会いに行くかもしれない。食べたことのないものにトライしておいしい!とかマズイ!とか勝手に言ったりするかもしれない。
これらはすべて予想だけど、やりたいって普段からどこかで思ってることなんだって、
今日のように、日々の暮らしが心ごと揺さぶられることがあると急に思い出すのだ。
これまでだって何度でも、そう思ってきたはずなのに、
まだ感謝しきれてないし、
まだ味わい尽くせてないんだって、
今日は本当に自分自身に腹が立ってます。
そして人生のピークを
病気や天災に
大勢の人が無意識に設定してるとしたら?
こういうことがあると途端に人は普段の何気ない暮らしに感謝したり、人の繋がりを大事にしようとする。
それがいけない事って言いたい訳じゃなくて(被災した方には当然な事だと思います)
遠巻きに、見ていた人たちが、
他人が見舞われてるそのことを土台にして、
これまで見えていなかった日常のありがたみや幸せなんかを語るんじゃないよ!ってことです。
誰にでもなく自分に言ってます。
もう泣けてくるくらいに腹立たしい!
本当にごめんなさい。
これは普段から「いつか」に自分の人生のピークを無意識に設定してるからなんだと思います。
お金が貯まったら行きたいとこへ行こう!
機会があったら直接会ってお礼を伝えよう!
そういうたくさんの「いつか」のエネルギーが個々に溜まっていて、
それが噴き出した時に有事が発生するとしたら?
なんて愚かなことをしてるんだろうか!
怖すぎる!地震よりも何倍も怖いって思います。
地震だけではない、事件や大事故のニュースも、当事者に寄り添うつもりでああだこうだ言いながら、その他人の不幸を自分の日常のありがたみの土台にしてるとしたら?
次の同じようなことを作り出すエネルギーが溜まるまで、喉元過ぎて全部忘れて忘れた頃にまた同じことが起きる、、、そうだとしたら?
テレビやネットの情報から離れて、
他人の心配よりも、すぐに目の前の人に感謝して生きようとすることが
気の毒がって心配するよりも、大事なことだと思うのです。
これはある人から聞いたある人の話です。その方は亡くなる寸前に意識が混濁したままで突然大きな声で、いろんな人たちへ〇〇さんありがとう!と大声で言い始めたそうです。きっと本当は優しく素晴らしい方だったのだと思います。もう意識もほぼない状態でその時まで言葉を発することもできない状態だったのに。
でも批判されてもいい覚悟で書くと
わたしはこの話を聞いた時、モヤモヤして腹立たしさでいっぱいになったのです。
そんないい人がなぜ人生のピーク(その方が本当にしたかったこと、意識がない状態でするくらいなのでどうしても死の前にしたかったのだと思うのです。)
を持ってきちゃったのか!と。
名前も知らない人ですが、悔しくて腹立たしくてやるせない気持ちでいっぱいになりました。
そんな優しくて素晴らしい方なら元気な健康な時に、ありがとうを会いたい人に会って言っていれば、
もっと人生を体ごと楽しめたのかもしれないのに。
ありがとうを思い切っていうことがピークだなんて勿体なさすぎる!と思うのです。もっともっと受け取れるものが用意されてたかもしれないのに。
そのモヤモヤが、なんだったのか?に
今日の地震で気づいたのでした。
ピークをいつかに先延ばしせず、
日々がどんな状態であれ最高だと思って生きること。
目の前の人や思い出される人
事象ではなく全ての物事に対して感謝し続けていること。
直接伝え、言い切れない分はその想いを常に持つこと。
どうしてもやりたいことはすぐにやること。
できないなら執着しないこと。
こんなこと今までだってわかってたはずなのに、
本当にわたしは愚か者です!!!
自分のために今日のブログは特に書きました。
でも、もっと言えばこうやって反省めいたことを思うのも違うのかもしれません。
キッカケにしているのは同じエネルギーなので。
でも書かざるおえなかった。どうしても今日中に書いておきたかったのです。
どうかあしからずご容赦ください。
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