標準を生きないことについて
実際に会った人はわかると思うのですが、わたしは大きいです。身長は169センチくらいあります。
体重は、、、結構ありますとだけ言っておきます(笑)
今より痩せてた時期もあるけど骨格が大きいので人生ずっと大柄な人という感じで生きています。
体格が良いと親戚のおばちゃんに会う度に言われてました。
特に子供は顔でなく、大きさで年齢を決められるところがあるので、幼稚園児の時も小学生に間違えられて母が、この子大きいんですけどまだ学校上がる前で、と切符を買うたびに駅員さんに申し訳なさそうに説明してたのを思い出します。
小学生の頃は今思えば太ってた訳ではないのですが、大きいので、◯ブーと一時期呼ばれてました。◯のところは本名が入ります。
先日、久しぶりに知人に豚呼ばわりされ(笑)そのことを思い出しました。
その頃は、そんな自分をモデルに漫画にして豚顔のキャラクターまで作ってました。そうやって茶化すことで傷つかないように努力してたんだと思います。涙ぐましいなあ。
サンリオのザシキブタっていうキャラクターが出てきたときはそれも集めてました。わたしが作ったキャラクターがブレイクした!って勝手に思っていました。前向きなんだかデリケートなんだかよくわからない子供でした。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが何が言いたいかというと、
わたしはまず体型が標準でないという人生をずっと歩んできたんです。
それが
標準の道に進まなかった大きな原因だったと気づいたのです。
標準の道っていうのは、わたしがあくまで考える範囲内でですが。
どこにいても、頭一つは絶対飛び抜ける見た目。
目立たないようにしていたし、
猫背にもなりました。
こんな体格が良くても運動音痴だし、何も活かされないでくの坊だと自分のことを思っていた時期もありました。
普通(標準)に憧れたし、羨ましかった。
9号の服がすんなり入るのっていいなあとか(笑)
でも、だからこそ、諦めたんです。
そして標準的な範囲で物事を考えないようになって行きました。
みんなと同じでないなら(見た目が、ですが)
同じでないことを考えたり、しようって。
わたしはもともとは気の小さいところあるし、性質的には素直なので、
たぶんですが、
標準体型だったら、全然違う人生を送っていたと思います。
OLやってたかもです。親の言うことも聞いて地元で就職、結婚とかしてたかも。
何も考えずに、そういうもんだって受け入れていただろうと自分で思います。
それでは、魂の目的が果たせないので、わざわざ大きくなるカラダにしたんだって気づいたんです。
そのくらいのハードルないと、ぐーたらなのでわざわざ人と違う道選ばないしと。
だからすごいでしょ?ってことでも、
一般職の人や9号の服が入る人へ対しての当てつけでもないですよ。
そういうのは全くないです。
ただ、自分ごととしてこのカラダのサイズ感がずっと自分にしっくりこなくて、
ずーっと考えてたんです。
それで例えば本当にスタイルが良いとされる人や超美人だったりする女性が、一般社会では目立ちすぎて生きづらいから芸能やモデルの道を自選他薦ありつつ必然的に選ぶということに気づいたとき、
やっぱり見た目というのは人の人生にある程度の枠を作ってしまうのだなってわかったんです。
わたしは幸い(笑)美人でもスタイルバツグンでもないので、一般社会では大きいって思われるくらいで済むので、ちょっと変わった感性を持つ人として長年やってきましたが、それが今の仕事に繋がってるんだと思います。
そしてここからが肝心です。
標準的な体型だからといって平凡な人生でいいってことはないんです。
標準だからこそ、その枠の設定がもともと強い、普通だから普通で居ないといけないって思い込んでる人もいると思います。
これは大勢がそうだから、という集団無意識が関わってると思います。
同じサイズ感に揃えて、流行りの服を着せて、みんなと一緒がいい、安心だという意識を子供の頃から植え付けられているとしたら?
中にはそれが窮屈に思えて、自分からその枠から出ようとする人もいるし、ファッションも多様性があるので、個性も出せると思います。
でもある程度は影響あると思うのです。選択肢が広がるようで狭まるというか。
独断と偏見すぎるかもですが、
そうやって自分のことを考えたとき、初めてこの大きさでよかった、って思えたんです。
変わってる人って思われたくて、じゃない。
飛び抜けた(才能や成績でないところが残念だけど)頭ひとつ分だけの子供の頃から繋いできた知恵。
それが人と違う人生を構築するチカラになったんだと思います。
自分の才能が生かせないって悩んでる人がもし居たら、
試しに自分のいちばん嫌だと思う部分を認めて諦めてみてください。
見た目だけじゃなく、内面とか性格とかでもいいし。
そしてそこをどうやったら自分で逆に活かせてあげられるか?真剣に考えてみてください。真剣にでないとただの気休め程度で終わってしまいますから。
わたしはぐーたら、働きたくない!を認めたら真面目で優しい人と結婚できて、大勢が普通に働いてる会社での仕事が全く向いてない!っていろいろあって気づいた早い段階で、こんなダメな自分でも活かせることを!って強く想ったらこうなりました。
あんなに働きたくないわたしが自分で仕事するなんて!
でもあの働きたくない!は(会社)や(組織)で働きたくない!って事だったのだと後で気づきました。
のらりくらりと生きてきたようですが、こう見えても意外と真剣なところあるんですよ。
細かくは書きませんが、わたしは自分が嫌だって思ってきた部分が今はほぼ全て役に立ってると思います。
自分の才能が生かせるのは、
創意工夫だと思います。
完全なるオリジナルは難しいけど、出来るだけオリジナルで、変化球で、これまでの自分の人生や自分のウイークポイントを照らしてあげてみてください。
でもね、
標準サイズなんて、
本当はないんですよ!
枠も本当はないんです。
合わせられてるだけだということに気づいちゃってください〜。
標準の基準値なんてぶっ壊せ!
人はみんな違うのだ!もともと出そうと思わずとも個性なんてあるんです。
自由の枠内で自由なつもりを止めるには、そのことに気づかないとって思います。
今日の記事はかなり独断と偏見ですけど、まあ辺境のブログですので、お許しを!
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