どっちでもいい、ということ。
子供の頃から、どっちかはっきりしなさい!と急かされ、何かを常に選ばされてきたわたし達は、いつのまにか何が好きで何が嫌なのかばかりを考える大人になってしまったのではないか?と思います。
どっちでもいい、という言葉は、
何か「投げ出した」言葉のように受け取られることもあるけれど、
言い方を変えれば、どれでも大丈夫である、
という自分への信頼だと思う。
自分と宇宙の間にあるものは、全てなんだって完璧で絶妙であるはずだから、
目を凝らし、気を張って何かを選ばずとも、
むしろどれを選んだにしろ、
それをどのように変化させてしまうのかは自分の意識次第。
最近、何を食べても夢のように美味しい(笑)と感じます。
コンビニのお弁当でも、自分で適当にこしらえたごはんでも。アイスでも、何でも。
もともと食いしん坊ではあるけれど、
なんだかそれとは違う理由だと思う。
美味しくはあるけど、満足度でわりとすぐにお腹がいっぱいになります。
今まで味覚でさえ、良い悪いで決めていたのかもしれない。
そして対、人であっても、同じこと。
意識がどちらでもいい、というところへ合えば、絶妙に人の印象も変わる。
他人がどう言おうと、自分の感じるその人の印象が全てだし、ほんとうのその人のことなんてどっちでもいいのだ。
良い悪いではないところで
どんな出来事も味わえばきっとなんだって美味しく感じるのではないかなと思うのです。
そしてそこには、全部においての感謝が生まれてくるんじゃないでしょうか?
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